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古代インカ帝国の謎を追い求めて アンデスにこだまするフォルクローレ<ペルー>

■ペルーはここ!

ペルー地図

国のデータ
ペルー国旗イメージ 政体= 大統領を元首とする立法、行政、司法からなる三権分立、一院制議会に基づく立憲共和制
言語= スペイン語、ケチュア語
住民= インディヘナ(先住民)47%、メスティソ(先住民とスペイン人の混血)40%、ヨーロッパ系12%、そのほか1%
宗教= 国民の95%がローマ・カトリック
面積= 128万5216km2(日本の約3.4倍)  
人口= 約2615万人(2006年)。首都リマには、約790万人が生活する。

■マチュピチュ 〜失われた空中都市〜

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マチュピチュとは「年老いた峰」という意味のインカの遺跡。クスコからウルバンバ川に沿って約114km進んだ奥深いジャングルの中にある。
標高2,940mのマチュピチュ山と2,690mのワイナピチュを結ぶ尾根にまたがる、標高約2,400m付近に位置し、断崖と尖った山々に囲まれているため、麓からその姿を確認することはできない。このことからマチュピチュは“空中都市”と呼ばれている。
空中から見たマチュピチュは総面積5ku。その約3分の2が山の斜面を利用した段々畑になっている。建設されたのは15世紀半ば〜16世紀前半。
遺跡の最も古い部分は今から2,000年前に建造されたという話もある。麓とは約400mの標高差があることから、この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための冬の離宮や田舎の別荘であったと考えられている
。また、急斜面に位置したマチュピチュの頂上には太陽の神殿があり、宗教的儀礼を行う宗教都市だったとも言われる。いずれにしろ、建造の目的はいまだはっきりとはしていない。

1532年、スペインによりインカ帝国が征服されると、インカの都市は徹底的に破壊された。
しかし、このマチュピチュはスペイン軍に見つからなかったため、ほぼ完全な状態で残されている。
失われたインカの都市造りを今に伝えるこの遺跡が、多くの謎を解く貴重なカギであることは間違いない。

・太陽の神殿

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マチュピチュ随一の美しい曲線を描いた建造物。クスコにある太陽の神殿に似ていることからこの名前が付いた。入口付近の下部には、途中で鋭角に屈折し反対側に抜ける「毒蛇の通路」と呼ばれる小さな穴がある。何のために、誰がどうやって造ったのかは不明。

・神聖な広場と3つの窓の神殿

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この窓からインカ帝国の初代皇帝が生まれたという伝説が残る窓。手間をかけて造られたことがわかる建造物で、マチュピチュが綿密な計画に基づいて築かれたことが伺える。
この神殿と、神官の館、主神殿に囲まれた部分が“神聖な広場”。

・インティワタナ

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マチュピチュの最高峰にある遺跡。先住民の言葉でインティ=太陽、ワタナ=つなぐものを表す。角柱の各角が東西南北を指していることから、日時計だったという説もある。

・コンドルの神殿

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居住区にある自然石を用いた神殿。ここには自然石に掘られた石のイスがあり、手を繋いておく石もあるため、刑罰を行う牢獄だったと言われている。手前の石は儀式に使われたというコンドルの石。

・段々畑

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マチュピチュの断崖絶壁には見渡す限り段々畑が連なっている。インカはこの畑でジャガイモ、トウモロコシ、ユカ、キヌア、コカの葉など200種類以上の作物を栽培していたという。

・陵墓

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太陽の神殿の下にある実際の使用目的は不明の石室。
皇族のミイラを安置所だったと言われ、“陵墓”と呼ばれている。

※写真はイメージ

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