
■イランはここ!

政体= イスラム共和制■イスファハン 〜イスファハンは世界の半分〜
イラン高原最大のザーヤンデ川の中流に位置し、「イランの真珠」と讃えられる古都イスファハン。この地の繁栄は1597年、イスラム王朝の1つであったサ ファヴィー朝の王アッバース大帝が、イスファハンを首都に定めたことに端を発する。大帝は自らの基本設計をもとに大規模な都市計画を推進、旧市街の郊外に イマーム広場(王の広場)を中心とした新都が造営された。広場のまわりにはアラベスク模様のタイルで覆われた荘厳なモスクや宮殿が建ち並び、「ここには世 界の半分がある」とまで称された。また、街にはアルメニア商人やインド商人など遠隔地貿易に従事する者たちが住み、絹の輸出を中心に経済も発展、細密画や タイル美術、陶器など、今の時代に誇るペルシャ芸術が開花した。この時期イスファハンには50万人もの人が暮らしていたと言われている。アッバース大帝の もとでイスファハンは壮大華麗、大いなる繁栄を遂げた。現在も街にはこの時代に建設されたイスラム建築の傑作が数多く残っている。繊細な装飾、美しい色使 いなど、その壮麗さは目を見張るばかり。大帝によって造られたこの街は、その完成度の高さからヨーロッパ諸国にまで知られる大都市だったのである。
・イマーム広場
かつては「王の広場」と呼ばれ、都市の中核となる広場。青を基調とした緻密なアラベスク模様のタイルで覆われたモスクや宮殿が周りを囲み、広場そのものが 巨大な美術品、またはオープン・ミュージアムのよう。「イスファハンは世界の半分」という言葉は、この広場のためにある。
・イマームモスク
イスラム革命前は「王の寺院」と呼ばれていた壮大な寺院。まさにイランのイスラム芸術と寺院建築を極めたサファヴィー朝時代を代表する建築物。アッバース 大帝の命を受け実に26年もの歳月をかけて建設した。その造形美は見る者を圧倒し、7色の彩色タイルで覆われた中央礼拝堂の天井ドームは息をのむ美しさ。
・金曜のモスク(マスジェテ・ジャーメ)
創建は8世紀にまでさかのぼるイスファハンで最も古いモスク。一度焼失したが、現在まで残っているうちの大部分を12〜14世紀に再建、その後増改築を繰り返した。そのため、様々な時代の建築様式、タイルワーク、アラベスク文字が随所に見られる。
・シェイフ・ロトフォーラー・モスク
アッバース大帝の命によって建造された、イーム・モスクと並ぶサファヴィー朝時代の傑作。王族だけが使用するモスクなので、こぢんまりとした造り。その美 しいモザイク模様は必見。青を基調とする寺院が多い中で、ベージュが基調であるのも珍しい。また、寺院全体がほぼ400年前の当時のままである。
・バンク教会
17世紀半ばに建てられたアルメニア教会。大聖堂にモスクを思わせるドームがあるのが特徴。荘厳な雰囲気で、壁には「最後の審判」など旧約聖書の場面や、アルメニア人の聖人の画などが描かれている。金色を多用しているのが特徴的。
・アーリーガープー宮殿
1〜2階はアッバース大帝時代、バルコニーと3〜7階はアッバース2世の時代に造られた、イラン初の高層建築。「壮大な門」を意味する。バルコニー中央には大きな池があり、18本の柱が屋根を支えている。かつて王がポロ観戦を楽しんだという眺めは大変素晴らしい。
・シェイキング・ミナレット(メナーレ・ジョンバーン)
サファヴィー朝時代の建築で、その名の通り対になっている片方のメナーレ(ミナレット)を揺らすと、もう一方のメナーレも揺れる構造で有名。観光客が揺らすことができるのは、正面から向かって右側のメナーレ。
・スィー・オ・セ橋
長さ300m、幅14mの橋でアッバース大帝時代に建設された。ペルシア語でスィー・オ・セとは「33」を意味し、橋上部のアーチが33あることからこの 名が付いた。車は進入禁止。いつも人通りが絶えず、大変な賑わい。両岸のたもとにはそれぞれチャイハーネがあり、ゆったりとした川の流れを眺めながらのひ と休みにもってこいのスポット。
・ハージュー橋
スィー・オ・セ橋の東1.5kmほどにある橋。この橋は2層構造になっており、上層部には、夏の夜、王がしばしは宴を行ったというテラスが設けられてい る。上部も下部も歩いて渡ることができ、夏の夕暮れなどはかなりの人出。ライトアップされる夜の姿も美しく、ザーヤンテ川の橋の中で最も印象深い橋と言え る。
※写真はイメージ